この常時接続環境こそが、のちに世界最大のメール配信サービス「まぐまぐ」を生む苗床になる。大川はメーリングリスト(電子メールを使うネット上の会議室システム)を駆使して、自分の“ポジション”探しを始めた。常時接続環境で、四六時中メールを書き、ホームページを更新し続けた。そんなとき、インターネットビジネスについて語り合うメーリングリスト上に、ある提案が流れた。提案の主は、後に大川とともに「まぐまぐ」の創業メンバーとなった深水英一郎。自ら開発した個別メール配信システム「X-mail」をベースに、誰でもメール雑誌を発行できるサービスを提供しようというアイデアだ。それにただ一人手を挙げたのが大川だった。97年1月、深水が手がけていた「えふりぺ」をはじめ17誌、総読者数10000人で、「まぐまぐ」はスタートした。名前は「マガジンマガジン」から取った。運営主体は大川の会社、ユナイテッドデジタル。「まぐまぐ」は爆発的なヒットになった。1年2ヶ月後には登録マガジン数が1000誌を突破。98年末には5,708誌、月間の総配信部数は3000万通を超えた。ネットアイアールディーの白石と西村は、配信サーバーの増強と配信ルート確保に寝食を忘れた。白石が大川に出した条件はただ一つ、「腹一杯のコーラ」だったという。大川、白石、深水の共通項は、もともと文科系だということ。技術の側からでなく、「やりたいこと」から考えて行動していた。まぐまぐの動きを横で見続けてきたある企業の技術者は、「純粋の技術者だったらやらなかった。できるわけがないと、早々にサジを投げていたでしょうね」と語る。 |
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