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KRPeople ここにこの人

株式会社 イー・エージェンシー取締役副社長 木村 祥一郎さん
1972年生まれ。大阪出身。同志社大学文学部で美術を専攻。在学中、現・株式会社イー・エージェンシーの社長らに誘われ、起業に参画。同社創業メンバーの1人となった。2003年5月、同社の取締役に就任。翌2004年6月から副社長を務める。

映画好きだ。学生時代には映画サークルに所属。自主制作の映画も撮った。「10分ぐらいの短い作品。浮気をした男に女が復讐(しゅう)する内容だった」。映画館に足を運ぶ毎日で、年間100本以上は観たという。その映画サークルの2年先輩で部長を務めていたのが甲斐真樹氏(現・イーエージェンシー社長)だった。
1995年の春、「インターネットは使えるか」と甲斐氏が訪ねてきた。「当時周囲でパソコンを持っていたのは自分だけ。音楽をするために買ったパソコンで、インターネットについては全然分からなかった」と木村さんは振り返る。
その場で大阪の電気街、日本橋に連れて行かれてモデムを購入。それから、甲斐氏らとともに、日本で最初のインターネット検索エンジンづくりに取り組むことになる。インターネットが爆発的に広まり、情報化の渦が世界を呑み込む様をつぶさに見てきた1人だ。検索エンジン作りからウエブページ作り、企業向けのシステム作り、と手がける仕事の幅を広げてきた。会社を設立し、抱えるスタッフは数十人規模になっている。しかし、木村さんは「起業した当初から、会社は本質的には変わっている気がしない」と話す。
スタッフが増えても、同じものに向かって一つのものを作ろうとするのは映画と同じという。「自分が学生時代を過したこともあるが、京都は距離感とサイズが丁度いい。5年間の東京勤務を経て余計にそう感じる。山と川を見て自分の立ち位置を確認できる。そして映画館にも歩いて行ける」。
読書も趣味にしている。仕事が忙しいとき、苦しいときなどにふと繰り返し浮かぶのは開高健の「情熱は暗い迷妄だ」という言葉。「文学や心理学は実際の仕事では役に立たないと思っていたが、マーケティングではクロスボーダーの感覚が必要。自分の中では糧(かて)になっていますよ」。


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M&D Lab. ; 医薬情報資料研究所 代表 佐藤好威さん イラストレーター サトウヒロシさん
佐藤好威さん 1943年生まれ。福島県出身。福島県立医科大学で医学博士号を取得。米国の大学で研究を重ね、帰国後製薬会社に入社。定年退職後の2004年1月、標記研究所を設立した。サトウヒロシさん(=本名:寛) 1978年生まれ。好威さんの二男。神戸大学在学中にイラストデザインを手がける「アトリエみかん箱」を開設。M&D Lab.では父と医療に関するパンフレットやポスター、小冊子、単行本のデザイン、印刷を手がける。

ブースの中で親子2人が並んで黙々と仕事をする。家ではどのような会話をするのか、という質問に「うーん、生活の時間帯がずれているのであまり会話はない」と異口同音に答えが返ってきた。
佐藤好威さんは長年医療と製薬の分野に携わってきた経験から退職後に「医療と製薬の間にあるギャップを埋める仕事がしたい」と研究所を立ち上げた。一方のヒロシさんはイラストレーター。お互いの分野はまったく違ったが、医薬の知識とデザイン力をつなぐ大きな接点があった。「医学の専門書をわかりやすく解説すればいいじゃないか」。日本の医学の専門書はとにかく難解でわかりにくい。専門書であっても研修医や看護師、薬剤師、さらには患者に簡単に伝えられるよう図解すればいい。そして親子の共同作業が始まった。
役割の分担は好威さんが企画・営業を行い、ヒロシさんが出版物として具体化する。ただ、いい商品を作るにはお互いがシビアに意見を出してやりあわなければならない。ヒロシさんから見た父親像は「頑固で固い。しかしうまくいかなくなっても決してあきらめないところは尊敬している」。好威さんから見たヒロシさんは「子どものころから好奇心旺盛な子」という評価。
好威さんがアメリカの大学で3年間研究を重ねる間、家族はともにアメリカで3年間を過ごした。「家族で海外に引っ越すと結束力が強まる」と好威さんはいう。確かなつながりがあるからこそ親子で仕事ができる。好威さんは「息子を持つ親は大抵、だれもが将来子どもと酒を酌み交わすことを夢見ると思う。しかし実際は照れくさいな」と笑った。




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