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KRPeople ここにこの人

有限会社アイボックス 取締役入交佐妃さん
1972年高知市生まれ。96年に同志社大学文学部を卒業後、大阪市内の写真館に入社。卒業アルバムや修学旅行などの写真撮影を手がける。99年、知り合いの紹介などがあり、アイボックスに入社。2004年春、アイボックスが有限会社化したのを機に、取締役に就任した。現在、自らもフォトグラファーとして活躍する。

小学校5年生の時だった。美術品好きの親に連れられ、セザンヌの展示会を見に行く。なぜそうだったのかは、はっきり憶えてはいないが、果物の静物画が心に残った。後に親から「いつまでも静物画の前から動こうとしなかった」と聞かされた。
入交佐妃さんが、美術と出会ったときだ。以来、絵画に興味を持つようになった。書道や英語、公文式など習い事が多い中、絵を習いたい、と親に訴えたという。他の習い事は、時間になってもぐずぐずしていたが、絵だけは誰よりも早く教室に行った。
高校生のとき、アメリカに1年間、留学した経験がある。そのとき、「せっかく行くのなら、全部の思い出を残したい」とコンパクトカメラ1台にフィルムを大量に持っていった。36枚撮りフィルムを平均して週に2、3本は使った。「その時から写真が面白いな、と思うようになったんです。構図や光の差し込み具合を考えるところが絵に似てた。大学に入ったら絶対、写真サークルに入ろうと考えた」。今でも3,000枚近い当時の写真を丁寧に残している。
大学では、学術的な勉強をしたいと、文学部で美学を選んだ。専攻したのは、現代アートだ。入学と同時に、念願の写真サークルでも活動を始める。サークルの暗室で最初に撮った風景写真を現像するとき、現像液の中の印画紙に像が次第に浮かび上がる様子が神秘的だったのをよく憶えている。美学と写真、前者を選んでキュレーターか、後者を選んで写真家になるか。像が浮かび上がったときの感動がやはり忘れられなかった。
現在、自らカメラを手に取りながら会社の経営も行う立場にある。取締役になったこの一年、まったく知らなかった経理の勉強もした。合間に自分が撮った写真の個展も開く。「役員としての立場、フォトグラファーとしての仕事、そしてアーティストとしての写真家の顔、それぞれのバランスを取るのがやっぱり大変ですよね」。


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1948年広島市生まれ。71年に愛媛大学工学部を卒業後、立石電機(現在のオムロン)に入社。交通管制システム事業部で、制御システムの研究開発など技術畑を歩む。2002年10月、オムロンの早期退職制度に応募して退社。
2003年4月7日、鉄腕アトムの誕生日に合わせてとめ研究所を設立した。

「10月21日付けでやめるで」と妻に言った。「え?」「会社を辞めたら起業しようと思う」と続ける。「大丈夫なん?」「大丈夫や」。それで夫婦の会話は終わった。とめ研究所を立ち上げた福留五郎さんは「まあ、(妻は)同居人みたいなもんですから・・・。さすがに不安やったようやけど、私がやることを決めてしまったし」と苦笑しながら起業の経緯を話した。
福留さんが勤めていたオムロンを退職したのは2002年の10月。同社が早期退職制度を実施したのがきっかけだった。当時福留さんは55歳。数年前から独立を考えていた。早期退職制度に応募すれば、退職金が割り増しになって元手ができる。さらに「今の年齢だったら社内外の人脈を活かせる。定年後の起業は新しい仕事を始めるのが難しい」と起業することを決めた。
子供のころからものづくりが好きだった。小学校高学年の時は、「模型少年だった」。中学校にあがると、海洋少年団に入団。高校時代には、アマチュア無線に没頭した。電波管理の仕事に就いていた父の影響もあった。仕上げに(?)大学時代は何を思ったか馬術部で馬に乗っていた。
起業を通じてやりたいと考えているのは「人と機械が共生する社会作りに貢献する」こと。頭の中にあるのは、「ドジを踏んだり、間違えたりするような人間くさいロボットを作る」ことだという。
そのためには、膨大な研究開発費が必要だ。現在取り組む人材(先端ソフトウエア技術者)派遣事業できっちり収益を上げるつもり。「お金が貯まってやりたいことができるようになったら、そのときにいるスタッフの考え方や、やりたいことを結集して自社開発に乗り出したい。私自身は、自分がものづくりするより、若い人のものづくりをサポートするつもり。まあ、川の流れに任せて、無理をしないような経営をしていきたいですね」。




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