1943年京都生まれ。生家は先斗町のお茶屋「高木福」。独学で取得した無線通信士の資格を生かし、和歌山県海岸局の職員となる。69年夏、京都市に転職。広報部門を経て、長年にわたり災害対策を担当する。2001年、財団法人京都高度技術研究所(ASTEM)の総務部長に就任した。
機械いじりの好きな少年だった。自らを「ラジオ少年だった」と振り返る。中でも無線通信に強い興味を持ち、高校1年生のころ、部品を組み立ててアマチュア無線(ハム)を始めるようになった。その年に始まった新しいアマチュア無線の国家試験にも早速チャレンジし合格。「ハムを通じて知り合った仲間とバンドを組んだり、海外の人とコミュニケーションをとることが楽しみでした。今で言うメールやチャットのようなものですね」と話す。「でも、ハムは不思議と、相手の表情や個性を感じることができるんですよ」と、インターネットとの違いを指摘する。 学生時代、独学で無線通信士の資格を取得。68年から和歌山県庁の職員として働き始めた。県南部の基地局で、太平洋沖を航行する船や遠洋漁船の無線を中継する仕事だった。翌年、防災無線を扱う技術職として京都市に採用された。これが転機となり、以後、防災システム設計を手がけるなど、災害対策と深く関わるようになる。
阪神大震災の時、京都市が設置した支援本部に張り付き、被災地に送る救援物資や応援要員の輸送に手腕を振るった。「この時は1ヵ月間、まともに家に帰ることができませんでした」。防災担当は激務だ。災害が発生すれば、昼夜を問わず駆けつけなくてはならない。72年、左京区修学院の音羽川で土石流が発生した時は、3日間、不眠不休で対応に追われたという。忙しい日々、何を感じていたのか。その問いに対し「人の役に立っているという生き甲斐です。今も、私で役に立つなら何でもやろうと思っています」。強い使命感を隠すように優しい笑顔がにじんだ。
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