1990年代も中盤を過ぎた頃、白波瀬登さんは京都リサーチパーク内の株式会社情報通信研究所でグラフィックデザイナーとして活躍していました。当時、情報通信研究所はDTPやグラフィックデザインを手がけていましたが(現在はWebサイトや映像の企画・制作に特化)、次世代技術と言われてきた3Dグラフィックスがいよいよ本格的に世の中に浸透していく現象に強く興味を持つようになりました。「当時はちょうどPlayStationやドリームキャストといったゲーム機の人気が上昇して、ゲーム業界における3D技術が一気に開花した時期だったんです。私ももともと3D技術の勉強をしていたので、『これからは3Dをやりたい』と思うようになって…。ちょうど情報通信研究所でゲーム会社様とのおつき合いがあったのである程度仕事を任せてもらえる見込みがあったことと、当時はそれほど3Dを手がける企業が少なかったので、『今こそ絶好のタイミングだ』と確信しましたね」と、白波瀬さん。
そして1998年6月、情報通信研究所の坂田社長と相談したうえで、別会社で3D事業を展開することに決定。新会社の社長は、3DCGデザイナーでもある白波瀬さんが務めることになりました。情報通信研究所と同じくリサーチパーク内のスタジオ棟でスタートを切った新会社の名前は「界グラフィックス」。「界」とは「世界」という意味。これをそのまま漢字で使うことで京都らしさや日本らしさを社名に漂わせています。 |
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