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初代 遠藤 浩 | 第2代 野村 透 | 第3代 赤坂泰雄 | 第4代(現職) 浅井邦茂


遠藤浩――KRPが京都に根づいていった要因はなんだったと考えていますか?

堀場雅夫さん(堀場製作所社長=当時)」が行政や経済界をまとめて支援体制をつくってくださったことが大きかったですね。堀場さんにKRP設立の趣旨を説明すると、即座に『それはええこっちゃ』と言ってもらえた。こちらから話をしたのはわずかで、むしろ堀場さんが、リサーチパークの意義やインキュベーション施設の意義をとうとうと話され、ご自身が学生ベンチャー出身ということもあり、『全力で応援したる』 と言ってくださった。

マーケティング重視の経営方針を打ち出したことも大切な要因でした。つまりお客さんやテナントさんにいかに喜んでもらうか、金がなければせめて全員で気持ちを込めて、できる限り喜んでもらえることをやろう、と。京都の町は人の噂が成否を大きく左右するといった怖いところもあります。『KRPは居心地がいい』という評判を流してもらうためにも、テナントさんや地元、近隣の方々に親しみを持ってもらわなければならない。今も続いていますが、テナントさんや地元の方々をお招きしての正月の七草パーティー、夏の七夕祭りはこうして生まれました。また、テナントさんの創業記念日に花束を届けるといったアイデアが社員から出たのも、こうした発想から出たものです。全社員が『お客様に喜んでもらうためには』と必死に考えてくれました。

――そういう運営をするために、社内的にはどんな工夫を。

実際に運営を開始してみると、社員の中に“仕事イコール苦行”というような雰囲気が漂っていることに気付いた。そこで私は、まず『仕事をおもろいと思いながらやろう。お客さんが喜ぶ顔を見ることほどやり甲斐を感じることはないで。ただしウチは株式会社。おもろい話をきちんとクロージングしてなんぼのもんや』と社員に求め続けました。 大阪ガスからの出向組に対しては、『君たちは今日からKRPというベンチャー企業の社員。今までの常識が通じないことが多いということを忘れたらあかん』と伝えました。つまり意識を変えてもらうということですね。

――安定軌道に乗るまでには苦労もあったでしょう?

リサーチパークをやるといっても、日本に先行事例がないのでとても苦慮しました。そこで、米欧のリサーチパーク、サイエンスパークを20〜30ヶ所ほど視察して回った。ところが、ほとんどが有名大学の付属機関で、大学全体の収支の中でのドンブリ勘定。民間企業であるKRP(株)のモデルにはそのまま活かせず、結局自分自身で考えなければならない点が多かった。若い頃に「作ったものを売る」ではなく、「売れるものを作れ」というマーケティングセオリーを勉強しましたが、この発想に立って社員みんなが頑張ってくれたんです。

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野村透KRPの基本路線は遠藤さんが敷いてくれたのですが、私がやった中で一番印象的だったのはTLO(大学からの技術移転機関)設立でした。

立命館大学と京都大学教員有志の皆さん、そしてKRP(株)などが出資して、関西の大学の研究結果をきちんとした知的所有権として確立し、それを外販して産業に役立てていこうというプロジェクトです。大阪ガスの常務会では否定論が強かったのですが、京都大学の何十人もの先生方や立命館大学のリエゾンオフィスが強く後押ししてくれたので実現できました。当時の通産省が打ち出した政策にいち早く乗ることができた。

実は大阪ガスから許可を得るに当たって、「期限は5年間」という条件が付いていたんです。事業の趣旨から言って不採算でも仕方がないが、期限を付けるよと。でもKRPに産学交流クラブ(現TLO技術情報クラブ)などの産学連携の実績があったのと、担当者にも恵まれて、5年経った今も黒字経営が続いています。

外国のリサーチパークとの交流に力を入れて、「アジアリサーチパーク会議」を継続的に開くことができるようになったのも、嬉しいことでしたね。

残念だったのは、KRP(株)としてのベンチャー投資ファンドを作りたかったのですが、これは実現しなかった。当時はまだ(大証ヘラクレスや東証マザーズのような)ベンチャー向け株式市場もなかったですからね。しかし、退任後に(吉田和男京大教授が主導する)関西ベンチャーキャピタルに会長として関わることになり、実践しています。「お金よりも夢に値打ちがある」――そういう会社を育てたいですね。


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赤坂泰雄大阪ガス時代にはずっと技術畑でしたから、KRPについてさほど強い認識を持っているわけではなかったんです。それまでの京都との縁は、京都の大学を出たことぐらいで。

ところが赴任してみて、地元の期待感がものすごく大きいことに驚いた。最初の2週間ぐらいで「これは大変な仕事を引き受けてしまったぞ」と。それから2-3ヶ月、京都のことからIT業界の専門用語まで、知識習得に精励しました。

私の社長時代は大阪ガスグループが大きく変わる局面でした。株主重視の経営とか、エネルギー事業の自由化の流れとか。関連会社の業績評価も厳しくなりました。

私の大きな役目は「選択と集中」を推進し、コストダウンと要員の削減を始めとした内部組織の見直しにより「継続して利益の挙がる会社」への基盤を固めることでした。

随分思い切った施策を実行したつもりです。そのひとつとして、米国のインキュベーターとの合弁会社(SCI)を整理するために米国に自ら乗り込んで交渉をしたのが、懐かしい思い出ですね。この案件は権利関係が若干ややこしく、どう決着するか随分悩みながらの交渉でしたが、交渉当事者の誠意とタイミングに恵まれ、こちらにとってもありがたい条件で合意してくれました。ほっとしましたね。

KRPは今、昼間人口2,600人という規模にまでなりましたが、これが10,000人になればもっとハッピーですね。そのためにも、ここからIPO(株式公開)する会社が一日も早く出てくるなど、KRPのステータスをもっと高めていって欲しいです。

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浅井邦茂KRPにとってこれまでの15年は、いわば「栄光の歴史」だったと思います。世界を意識し、世界の中での先進的な都市型リサーチパークを目指してきました。

さて、産業界は今、「生き残るための経営」に邁進しています。大阪ガスグループ内でもかつてなくキャッシュフローを重視するようになっています。また、産業育成に関しては各自治体が主要政策として産学連携を進めると共に、大学も独立法人化をうけて産学連携事業を進めつつあります。

これからのKRPは、この15年に蓄積された有形、無形の財産を活かし、社会の変化を見極めながら「京都のリサーチパークである」ということを強く意識して、地元のニーズに基づく開発を行っていく必要があると思います。幸い、周囲の商業集積が少しずつ加速しています。こうした動きを追い風にして「リサーチ」(研究)を前面に打ち出した場から、事業の自立を目指す企業の方々の場となる本格的な「ビジネスパーク」へ新たな挑戦をしてゆきたいと思っています。これにより他の地域でも通用する新産業創出モデルができるのではないかと考えています。

そのためにも、これからは「By Kyoto」(京都の人材や資本を重視した戦略)がポイントになるになるのではないでしょうか。  KRPにとってのあるべき姿を追求し創りあげていきたい、そう考えて日々仕事に取り組んでいます。


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京都リサーチパーク(株) 営業開発部
TEL:075-315-8342 Fax:075-322-5348
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